月別アーカイブ: 2月 2013

3月17日(日)春の進学ナビ 大学院・社会学学際系

3月17日(日)春の進学ナビ 大学院・社会学学際系

2013年3月17日(日)14時より、
東京の高円寺の予備校・中央ゼミナールにおいて、
「春の進学ナビ」というイベントを開催させていただきます。

大学院入試の動向について、多角的に説明させていただきます。
大学院入試を突破した方々による合格体験談と座談会もございます

参加してくださる合格者は、
東京大学大学院情報学環・学際情報学府
東京大学大学院新領域創成科学研究科
京都大学大学院地球環境学堂
一橋大学大学院国際・公共政策大学院
早稲田大学大学院政治学研究科
早稲田大学大学院国際情報通信研究科
慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科
のみなさんです。

合格者の生の声を聞けるめったにないチャンスです。
参加自由、参加無料のイベントですので、
お気軽にご参加ください。

http://www.chuo-seminar.ac.jp/
http://www.chuo-seminar.ac.jp/guidance/navi/

春の進学ナビ 社会学・学際系大学編入

春の進学ナビ 社会学・学際系大学編入

社会学・学際系スタッフの赤田と申します。
2013年3月17日(日)に、
東京の高円寺の予備校・中央ゼミナールでは、
「春の進学ナビ」というイベントを開催させていただきます。

内容は、大学編入とはどういうものなのかや、
どういう大学が編入試験をやっているのかや、
どういう本を読んだらいいのかや、
どういう勉強法でやっていけばいいのかや、
実際に編入試験で合格した人による体験談発表と座談会などです。

来校してくださる合格者は、
大阪大学人間科学部合格者が2名
立教大学コミュニティ福祉学部が1名の
合計3名です。
情報が少ない大学編入試験やめったに会えない
編入合格者の生の声を聞けるめったいなにチャンスです。
予約は不要で、参加無料です。
どうぞお気軽に高円寺にいらしてください。

大学編入の会は、16時から開始です。
詳しくは、下記のHPをご覧ください。
http://www.chuo-seminar.ac.jp/
http://www.chuo-seminar.ac.jp/guidance/navi/index.html 

来年度受験に向けて

来年度受験に向けて

こんにちは。11月より社会学系スタッフとして勤務をはじめました。今回、初めてブログに書き込みます。
本日から、来年度受験のためのプレ学期が始まります。特に難関大学での論文試験では、さまざまな知識および理論を使いこなすことが求められます。また英語の学習には時間が掛かります。そのため、早めにスタートを切っておこうという試みです。
それから編入および大学院入試コースの説明会を、毎週日曜日に開催しております。いろいろな情報を提供しておりますので、是非お越しください。
mt

ユーモア。

ユーモア。

こんにちは、赤い実です。
今年度の試験も最終期を迎え、
来週初めに筑波、
来月初めに明治がやってきます。
長い期間頑張ってきた皆さん、
是非、全力を出し切って、結果を出してください。
さて、新年度向けのプレコースも続々開講中です。
社会学学際系も明日24日から難関大向けプレ講座が始まります。
人より早いスタートで、
社会学の魅力にどっぷりはまってみてください。
まだまだ申し込みは間に合いますよ!!
今日はあまり時間がないので手短に気になったことを。
「ユーモア」についての記事を読みました。
語源はラテン語でもともとは「体液」を意味する単語だったそうです。
体液は、いきものには欠かせないもの。
それとユーモアがつながっているということが興味深い。
つまり
「ユーモア」なしでは生きていけない。
私はこれに激しく同意します。
もちろん、身体的な機能が健全で栄養が補給されていれば、
生きてはいけます。そりゃ。
でも、質の問題ですよね。
ユーモアには不幸や悲劇や困難を少し遠ざけてくれる効果があると思っています。
どんなに苦しくても笑って、
その笑いを共有できる相手がいることが
「人間らしい生存」と言えるのではないかと思います。
それを支えるのがユーモアでしょう。
センスがなければ磨かなければなりません。
そのためには生きる中に余白が必要です。
この余白を無視して、
効率重視で数字だけで「人の生」を捉えているのが、
今の日本の政治です。
性暴力の被害に遭い、
その克服の過程を公表している勇気ある女性が言っていました。
「事件の数日後、笑うことができなかった私は、付き添ってくれてた警察官の方の警察手帳に、舘ひろしの写真が貼っているのを見て思わず笑ってしまいました。」
そしてそれがのちのち彼女の中で大きな意味を持つようになった、と。
ユーモアの重要性がわかる一例です。
詩人である石垣りんさんが以前だした詩集のタイトルが
『ユーモアの鎖国』
でした。
それを見たときに、今社会が直面している闇の深さを連想したことを思い出しました。
・・・いつになくつれづれです。
おわり。

会話より。

会話より。

こんにちは。赤い実です。
頑張ってます、更新。
年明け人気校第一弾である
早稲田社会科学部の合格発表がありました。
昨年に引き続き、合格者は二人・・・。
その中に中ゼミ生が入っているかどうかはまだ不明ですが、
二年連続で二人というのはなかなか厳しい。
でも、これからこの傾向がずっと続くとは限りません。
多く合格させる年が来る可能性は低くありませんので、
これから目指す方も諦めず頑張ってみてください。
さて、昨日入った喫茶店にて。
50代後半から60代前半ぐらいの女性二人の会話が耳に入ってきました。
話題はかなり著名なある女性作家の講演会か何かに行った時のことでした。
A:「でね、その時に言うのよ、先生が『日本は刑務所でも三食ご飯が出るし、お風呂も寝るところもあるし、こんないい国はありません』て。言われてみればそうだな、って思ったのよね。」
B:「そうね、ホームレスの人たちとか、わざわざ罪を犯して拘置所とか刑務所に入りたがるって言うものねー。」
・・・もちろん、「また聞き」なのでもしかしたら解釈違いかもしれません。
でも、以前からその作家については?な感じだったので、
十中八九、まあ、そう言ったんだろうととは思いますが、
これ、おかしくない?
いくつもの根本的な視点が抜け落ちています。
刑務所に行くことが人々にとってどれほどの影響をもたらすのか
刑務所内の衣食住を満たすための維持費はどこからでているのか
そして何より、
刑務所「でも」ではなく刑務所「でないと」安心できない人々が社会に多数存在しているという現実
これらを見ずに「いい国」と言う神経に、私はちょっとぞっとしました。
もちろん、囚人の人権を守る視点は不可欠だと思います。
しかし、それとは話は別です。
やはり不謹慎なのではないでしょうか。
社会保障や生活保護の問題が注目されています。
私が尊敬する社会保障研究者の書籍に記されていた言葉を思い出します。
日本の社会保障制度成立の歴史を振り返ってみると全ての議論の中には
高齢者の尊厳という視点が欠けている 
ということです。
どうすることが得だとか、
こうなれば損しないだとか、
そういうことだけじゃないよね、人間って。
尊厳って
たぶん
人間が人間たるに最も必要なもの。
それを忘れてしまっていたんだな、と思います。
また、社会学っぽくなくなってしまった・・・
でも、大事です、社会保障。

権利。

権利。

こんにちは、赤い実です。
前回のテーマは「暴力」でしたが、
体罰や柔道選手の暴行事件などを受けて、
国際柔道連盟がこれらの行為を批判する声明を出しました。
何でもかんでも外国と比べて、
「日本はこれが足りない」という基準で物事を判断することはあまり好きではありませんが、
関係者の「日本は暴力に対する意識や認識が薄い」という発言には同意しました。
暴力によってもたらされる影響の大きさははかりしれない。
きっと、鈍感で、想像力が欠如しているから、
暴力に「愛」などという修飾語をつけられるんだろうなあ・・・。
絶対に共存はできませんよ、暴力と愛は。
で、意識の欠如つながりで今日のテーマですが、
日本には権利に対する意識がある面では弱く、
別の面ではゆがんだ形で強くなっている気がします。
つまり、
主張する側は自分にその権利があるという意識が弱く、
おさえ込もうとする側は権利の主張がされないようにはどうすべきかという点で、
意識が強くなっている気がします。
おさえ込もうとする側の巧みな罠にはまった結果、
はっきりと主張できる立場にありながら、
それを躊躇する人々を救わない国になってきた気がします。
ただ、万人にあてはまる基本的人権という形での主張に比べ、
ある枠組みの中での権利というのは声に出しやすいようです。
例えば「女性の権利」です。
男性と同じ人間であるにもかかわらず、
結婚や出産などを理由に男性よりも低い地位につけられてしまう現状に対し、
男性と同等の評価を受ける権利は主張しやすいようです。
もちろん、十分な実現は未だになされないままですが、
少なくともこの主張に対して渋い顔をすることを「古い」とする土台はできている気がします。
ここでちょっと考えてみたいのは、
枠で区切ることの問題です。
上述の問題は、現在ではジェンダーの問題として表現されることが多いと思いますが、
ジェンダーという枠をはめれば、
当然そこからはみ出る存在が出てくるわけですね。
そこに驚くような差別が生まれることがある。
専業主婦に対する働く女性による軽蔑(もちろん逆ベクトルもあり)はその一例でしょう。
これはジェンダーにかかわらず、いろんな場面で生じています。
原発の事故後、反原発の運動の中で、
「子を持つ母親」の主張が注目されました。
しかしその陰で、独身女性が「子を持たない」ことに引け目を感じ、
ただ人間として、原発に反対することを躊躇したかもしれません。
また、同じく原発の被害者である福島からの避難民の中にも、
「強制的に避難させられた人」と「自主避難の人」との間に線が引かれ、
互いに大きな溝を感じるということが生まれてきているようです。
居住地や職業選択の自由などの権利を奪われているのは同じなのに。
先日孤独死していた避難者もそのような中での見えない差別に苦しんでいたのかもしれません。
このような「驚くような差別」が生じる背景には、
やはり、人権意識の弱さがあると言えます。
「人として生まれてきたからには守られていいのだ」
という意識を意図的に弱め、
本当に守られるべき人の声を抹殺してきた政治の結果です。
ここでもう一度立ち戻るべきは
権利とは、
人が人として
自由に
強く生きるためのものだ
という意識を社会全体で共有していくことでしょう。