月別アーカイブ: 5月 2012

幸福。

幸福。

こんにちは、赤い実です。
いきなりですが
あなたは今幸せですか?
日本の内閣府やOECDの調査結果が今年も出ました。
それについて、
たとえば正規雇用か非正規か、求職中か職に就いているかで
明確な差が見られる、とか、
36か国中、経済規模は2位なのに、
幸福度は21位であることはどういうことか、とか、
いろんな分析をすることは可能なわけですが、
そんなのはここで私がするまでもなく誰かがやってくれているので、
ちょっと別のことを考えてみたいです。
幸せとは何なのでしょうか。
絶対的な幸せはあるのでしょうか。
相対的な形でしか測れないのでしょうか。
自分で得るものなのでしょうか。
それとも自分だけでは得難いものなのでしょうか。
そして
幸せであるかどうかは
なぜ、問われなければならないのでしょうか。
うーん、なんだか面倒くさいにおいがしていますが、
つまりは、この質問をする意味は何だ!ってことなんです。
人間は何らかの基準によって定められ、数値化された尺度によって、
不可視なものを可視化されることが結構好きです。
だから、こんな面倒くさいことを考えずに、
その数字に身をゆだねていればいいのですが、
悲しいかな、天邪鬼なのでそうはいかない(これって社会学には必要だと思います)。
思うに重要なのは、
幸福であると感じられる絶対的な基準が、
個々人の中にあるかどうかなのではないでしょうか。
それは
仕事の充実、つまり達成感であったり、
他者との関係性の構築と維持であったり、
未知へ踏み出す自分自身の姿であったり。
そしておそらく私たちはそれらを、
一般的な「幸福(感)」と分けて考えている気がします。
相対的に言えば自分は恵まれているであろうから一般的には「幸福」である。
しかし、
自分が思う、「より良い自分」になり得ていないので、
絶対的には「幸福」ではない。
これら二つの幸福を交互に見つめながら、
私たちは生きるためのエネルギーを生み出しているのではないでしょうか。
「いいじゃないか、これで」という相対的幸福にやすらぎをおぼえながら、
追い求め続けなければ得られない絶対的幸福に胸を焦がす。
そしてまたやすらぎを求めては、胸を焦がす。
繰り返し。
そういうことをひっくるめて幸福について考えさせるために、
こういう質問があるのだと私は思ってます。
ちなみに
編入を志したり、大学院に行こうとすることは、
その絶対的幸福を追い求める過程の一つなのではないかな、と思います。
長いっつ!すみません。
6月9日(土)の編入・大学院フェア
たくさんのご参加、お待ちしております。

こんにちは。赤い実です。
個別面談が解禁(大げさ・・・)となりました。
最初のうちは授業についていくので精一杯で、
面談に時間を割く余裕はないかもしれませんが、
受講講座のこと、勉強法のこと、志望校のこと・・・
相談して解決に向かうことは意外と多いものです。
まずは一度予約してみてください。
最近いつ自分が犠牲になってもおかしくないような事故が、
日本各地で頻発しています。
被害を受けた人やその遺族が失ったものは、
命や当たり前の日常だけではないはずです。
そう考えると加害側の人間が背負うべき罪は計り知れないと言えます。
しかし、最も目立つところに表れている現象だけで、
特定の人間や存在を断罪するのは、
社会学を学ぶ人間が最もやってはいけないことです。
もちろん、罪は背負わなければなりませんし、
その償いも生半可なことではしきれないはずです。
でも。
「なぜそのようなことが起きてしまったのか」
を置き去りにしたままでは、事態は変わりません。
そしてこの「なぜ」は社会の非常に深いところまで伸びていますし、
大樹の根のように横へ横へと広がり、
他の問題とも関連しています。
社会学とは
  この根っこをとことんまで掘り出し
      入り組んだ相互の関係を明らかにし
  
          少しずつほぐしてことの本質を見抜く
そういう学問だと思っています。
これからいよいよ社会学を学ぼうとしているみなさん、
目に見えるものだけで判断することの限界を知りましょう。
世界が違って見えてくる
そこが社会学の醍醐味です。
では。