月別アーカイブ: 3月 2011

1週間遅れます

1週間遅れます

こんにちはバラックです。
地震以降自分も世間もバタバタと落ち着かなく、あっという間に3月も終わりを迎えようとしていることにとにもかくにも驚きです。
福島原発がなかなか落ち着かず、枝野さんだけでなく原子力保安院のあの方の顔を見るのもすっかり毎日の日課となってしまいました。私はなぜかこの人の説明は安心して聞くことができます。おそらくそれはいいニュースの時とよろしくないニュースの時の目元が異なるからでしょうか。
それにしても当初は今日の放射線の量をニュースでチェックする、そんな日が現実にやってくるとは夢にも思いませんでしたが、原発の問題が起きた当初よりもだいぶ落ち着いて受け止められるようになってきた、そんな気もします。もちろん避難されている方や風評被害に直面している茨城や福島の方にしてみれば、そんな悠長なことはいっていられないわけです。目の前の現実としてあるわけですからね。
私も当初は放射能という言葉だけで拒否反応を示すようなびびりっぷりでした。それはおそらく小学生の時に受けた原爆反対教育の賜物だと思います。
しかし冷静に理屈で考えるとそれほど怖がる必要はないんですよね。怖いと思うことと、怖がることはまったく別のもので、怖がるというのはいたずらに恐怖や不安を膨らませ、不確かな情報に振り回されてしまう、現実に悪い効果をもたらしてしまうものです。
知り合いの人にその人の地区の水道はどうかたずねたら「僕は放射能をお化けのようなものだと思っている。だから怖くない。ノーガード戦法でいきます」と返事が来ました。
大事なのは彼のいっている内容ではなくこうしたスタンスですよね。
「放射能は危ない!今すぐ東京から逃げろ!日本から離れろ!」と騒ぐ人もいました。そういう人は本人の恐怖や不安を回りに撒き散らし、周りの人にもそうした不安や恐怖も伝染します。
でも「怖くない」「怖いけど・・・・なのだから大丈夫、怖がる必要ない」と説得的に語れる人の話しを聞くと、不思議なことにそうした落ち着きもまた伝染します。
私の地元は山形で東京よりもだいぶ福島に近いのですが、山形の人は「山があるから大丈夫」と妙な自信を持っています。よくよく考えるとそれもどうかという話ではあるのですが、それでもそうした落ち着きや自信(?)はいたずらな不安を掻き立てない碇の役割を果たしているのではないか、とも。
また知り合いのリトアニア人の科学者がメールをくれ、こんなことを言ってました。
「このことが君たち日本人の不安を和らげられるかわからないけど、僕は昔チェルノブイリのクリーンアップ作業に参加したよ。妻もその時妊娠してたけど、僕も妻もなんともないよ」と。
海外メディアの多くはいたずらに不安や恐怖をあおるだけのものだっただけに、こういう言葉はまたもう一つの碇となってくれました。
さて、こんな時期ですから皆さんもたくさん不安を抱えてしまうと思います。でも何か一つ自分なりの碇を見つけて、しっかりと現実に足をつけておくようにしてください。そしてこれは編入でも一緒なのですよ。不安は勝手に暴走します。自分を現実から引き離してしまいます。でも自分を現実に留めておく碇があれば、不安を抱えながらもその不安で心を折ることもなく、しっかり勉強を続けることができるのです。しかも受験の時は不思議とその勉強をするという行為それ自体が碇となったりします。何だ、結局は勉強しろと言うことか。
と今回は多少ばかり説教くさい雰囲気になってしまいましたが、本来すべきであった話はここからです。
中ゼミのHPにもお知らせが載っていると思いますが、今回の震災を受け、中ゼミでは授業開始を1週間ほど遅らせることにしました。その代わり入学された方向けに当初社会学系の授業をする予定だった時間をつかってガイダンスや社会学早わかり講座、合格者との座談会などを計画しております。ですから皆さん安心して入学してくださいね。このあたりの詳細は決定し次第ここでもアップしていきますので、チェックして下さいね。

少子化から。

少子化から。

とうとう先行きへの不安から、
福島の農家の方が自殺するという事態にまでなりました。原発事故。
実家が農家である私には他人事とは思えない辛い話です。
実際に命を絶たずとも、それに近い思いで、
ギリギリのラインで生きている人々は少なくないでしょう。
避けられない天災だけがこれの原因だという人は、
もはやいないのではないでしょうか。
遺族の悲しみや怒りはいったいどこへ向ければいいのでしょうか?
さて、話題は変わります。
社会学のみならず、
現代社会を舞台とする学問で触れられるテーマの一つに、
「少子化」があります。
その少子化が都市における防災という側面で思わぬ影響を与えています。
少子化が進めば、当然必要な学校の数も減ります。
その結果、学校の統廃合が進み、
最終的に小学校の数が大幅に減少することになります。
広い敷地などを確保するのが難しい都市部では、
これまで小学校が主な緊急避難場所でした。
それが減少したということは、
安全に短時間で避難できる場所を失った人がいるということになります。
当然、統廃合の際にそんなことは考慮されないままですから、
今回の震災に遭って初めてそれを認識したわけです。
少子化と防災。一見次元の違う問題に思えますが、
こんなところでつながっています。
NS

自分はどこに。

自分はどこに。

新年度学生が徐々に入学しています。
やりたいこと、志望動機、これまでの経歴・・・
さまざまな方がいらっしゃいます。
大半の人が質問するのが
「自分のやりたいことはどの学問分野なのか?」
ということです。
中ゼミには理系や看護をはじめ、
法学・経済学・人文学・社会学・経営学・国際学など、
様々な分野があります。
自分がそのどこに入るのか初めのうちは分からないのは無理もありません。
なぜなら、学問領域とはそもそも明確に分けることのできないものだからです。
扱うテーマは同じでも、
切り口や角度が変わることで導かれる方向性と結果は変わってきます。
また、ひとつの領域に絞ったとしても、
その領域だけの手法や思考だけで研究することは難しいです。
編入を考えてまだ、行動していない人の中にも、
まだはっきりやりたいことが決まっていないから相談できない、と
踏み出せない人もいるかもしれません。
そんなとき、中ゼミでは一緒に可能性を探っていきます。
人と話すことによって、見えてくるものもあります。
是非お気軽にお問い合わせください。
NS

風評被害。

風評被害。

放射能という目に見えない脅威が次第に影響を強くしています。
日本国内はもちろん、海外まで。
中国ではネット上(たぶん)で放射能に関する「デマ」を流したとして、
当局が拘束という手段を取る事態にまでなりました。
いやはや、中国!
ところで「デマ」は似たような意味で「風評」とも言い換えられます。
そして「風評」は「被害」と合わさって、
「風評被害」という四字熟語で使われることが多いようです。
この「風評被害」、実は社会の情報化と密接なかかわりがあります。
もちろんどんな規模であれ、地域社会があって言語があれば、
「噂」は流れますし、それによる影響も少なからずあるでしょう。
けれどその規模が様々な境を越え、拡大し「被害」にまでなるには、
やはりテレビやネットなどが大きな役割を果たすことになるのです。
情報の真偽を判断する術を持たない人々が、
簡単に影響力の強い情報にアクセスできるために、
単に範囲の拡大だけでは済まない問題を生むことになります。
これを防ぐためには情報の送り手と受け手との間に、
しっかりとした信頼関係があることが欠かせないわけですが、
今のところそれは期待できないでしょう。
それこそが情報化社会の特徴のひとつでもあるわけですから。
何気なく触れる日常的なものについて流されるあらゆる情報。
範囲が広がることで、小さな一滴が及ぼす波紋はどんどん大きくなります。
私たち一人一人が選ぶ行動が誰かの人生を狂わせるかもしれません。
けれど、誰だって自分や自分の大切なものを守りたい気持ちはあるわけで、
それを責めたり否定することはできません。
「デマ」や「風評」にどう対処するか。
人任せにせず、自分自身で情報を集め、考える力が問われる時代です。
NS

電気。

電気。

昨日は春分の日でした。
夜が優勢だった時期が終わり、
これからは少しずつ昼が長くなっていくことになります。
被災地のことを思えば、春の訪れは切実なものでしょう。
節電で寒かったり暗いのが当たり前の日々が長引くにつれて、
どれだけ無駄な電気や明かりを私たちが使っていたかを思い知らされます。
一方で、医療機器などを中心に、
電気の安定供給の重要性も改めて認識しました。
だからこそこの事態は、
単に東京電力の不手際だけで終わらせてはいけない気がします。
人々に欠かせないものを支えている場所が
別の人々の生活を追いつめるのはやはりおかしい。
「想定外」「予想以上」という言葉で済まされてはいけない問題が、
次から次へと浮上してきています。
責任は、もちろん問われるべきで、決して表面的なものであってはいけません。
糾弾や批判という派手な衣装で、
根本的な問題が覆い隠されてしまわぬよう、
しっかり目を開いて社会を見つめていきたいものです。
NS

1週間。

1週間。

更新がなかなかできず申し訳ないです。
ばたばたしているのも理由の一つですが、
当然触れずにはいられない日本の現状を前に、
言葉が出てこなかったというのが最大の理由です。
続々と入ってくる被災地の状況や、原発の事故。
かろうじて避難できた方々の言葉を拾ってみます。
「若い人がたくさん亡くなっているのに、私みたいな年寄りが生き残って申し訳ない。」
「命は確かに助かりましたが、全てを失ってしまった今ではそれが良かったのかどうか分からない。」
これらの言葉を前にしてなお、「生き残ってよかった。頑張って。」とは言えません。
時折、今の震災の状況を戦後の日本と比べる発言を聞きます。
これに違和感を感じるのは私だけでしょうか。
全てを失い、怒りや悲しみをどこにぶつけたらいいか分からない人々を見て、
私たちが流す涙の意味を考える必要があるでしょう。
何をすべきで、何ができるのか―。
あまり社会学的なブログではなくなってしまいましたが、
この間、感じたことを書いてみました。
NS

地震

地震

皆さま地震、大丈夫ですか。
とにもかくにも、大切なのは身の安全。
中ゼミは可能な限り開いています!
明日のナビも今のところ通常通り開催予定です!
危なくない道を通って、
無理せず来られるようなら、
私たちは待っています!!
くどいようですが、
決して無理はしないでくださいね。
それにしても改めて地震列島であることを認識した日でした。
そこで生きる私たちのありようを、
今までとは違った視点から考えさせられました。
これ以上被害が拡大しないことを、
心から願って止みません。
NS

虫いづる

虫いづる

前のブログの「啓蟄」の文字を見て、昨晩部屋の白壁にくっついていた小さなヤスデを思い出しました。私はかつてナウシカに限りない憧れを抱き、いつかナウシカのように・・・と思っていたのですが、足が多い系あるいは無足系の虫を見た瞬間の嫌悪感とともに即効でそれを排除しようとする心境になることに気がつき、あっさりナウシカの夢はあきらめたのでした。そんなわけでヤスデももちろん退治です。
ちなみに私が思うところの一番気持ち悪い虫は、最近までは「レウコクロリディウム」というカタツムリにつく寄生虫がダントツだったのですが、先日「コマユバチ」の存在を知り、それが王座につきました。興味がある人はゆーちゅーぶとかで見てみて下さい。卒倒ものです。あとはゴキよりもムカデや芋毛虫が苦手です・・・といいながら気持ち悪さ見たさでしょっちゅう動画・画像検索をしていたりするあたりがまぞひすてぃっくな何かを感じさせますが
さて、虫の話も始めればつきないのでちょっと社会学的な方に話を向けてみましょう。先程もちらりと書いたゴッキー。いわずと知れたみなの嫌われ者ですが、このゴキがゴキたるのも殺虫剤のせいなのですね。どういうことかといいますと、江戸時代までゴキブリは害虫ではなく、豊かな家の証としてむしろちやほやされる存在だったのです。ゴキブリがいる=余分な食べ物がある=裕福な家、というわけで、これはこれで確かに、と納得させられます。それが明治時代になり殺虫剤なるものが浸透することで、ゴキブリは益虫から害虫へとその姿を変えたのでした。
この辺りの話はもっと詳しく『害虫の誕生』という新書にのっていますので、興味のある方はぜひご一読ください。社会学や人類学などでこういうテーマを扱うのも一興ですよ。ちなみに数年前の法政の人間環境の編入試験はこの「害虫の誕生」から出題されていました。
社会学系を志望する皆さん、社会学系の勉強の肝にはやはり読書があります。とにかくどんどん本を読む。字を追いながら筆者の考えを掴む、そして知識をつける。面白そうと思ったものはためらわず手にとって開いてみて下さい。本を読みなれていない人は、少し難しい本というだけで「読めない」となるかもしれません。しかし慣れです。訓練です。本を読む癖をつけていって下さいね。
ちなみに人気校お茶の水女子、「編入で合格しているのはどんなひとですか?」と質問されたとき、その答えは明白です。お茶を受かった人はのきなみたくさんの本を読んでいます。社会学のみならず自分の研究テーマに関連する本を少なくとも10冊以上は読んでいるのですよ。読書も積み重ねです。コツコツたくさん読んでいって下さい。
さてさて、毎回の宣伝になりますが、日曜日は進学ナビです。進学はいわずと知れた編入のこと、ナビはカーナビのナビ、つまり英語のnavigation、運行指示という言葉の日本語独自の省略形です。編入のための道程を学ぶ貴重な機会なわけですね。ゴールに向けての正しい道路を走るため、ぜひぜひの来校をお待ちしております。
ちなみに好きな虫はイナゴです。佃煮がオツですよね。

春に。

春に。

去る6日は二十四節気でいうところの「啓蟄」でした。
土の中の虫が地上に出てくる時期を指し、
同時にそれは春の到来も意味しているそうです。
実際に虫が地上に出てくるのはもう少し先だそうですが、
春が近づいていることに違いはありません。
それぞれにとっての「春」が訪れることを願って止みません。
春と言えば心機一転、何かを新たに始める季節でもあります。
学生の頃は、進学や進級など自ずとそのきっかけはやってきますが、
年を重ねるごとにそのチャンスは減り、自分で作り出すしかなくなってきます。
そのため、その内容は非常に個人的で内向きのことが多くなります。
「このままでもいいけれど、このままでいいのか?」
こんな、自分への問いかけをきっかけに、
生き方や生きる意味を考えることも少なくないでしょう。
ヴィクトール・E・フランクルという人がいます。
詳しくは調べてくださいということにしますが、
この人の言葉は極限状態を経験した人間ならではの重さを持っています。
 人の心が充たされるのは、
 自分や自分の幸福のことを忘れ去り自分にとって意味のある何かに取り組んでいるとき、
 または自分のことを必要としてくれる「何か」や「誰か」のために何かができるとき
 ・・・人間の心はそのようにできている。
何回か繰り返してみないとちゃんと理解できないかもしれない
(本当の意味で理解できているのかは結局のところ不明ですが)
言い回しではありますが、
自分の生き方を考える際に避けては通れないポイントをついています。
そしてシンプルに生き方を考えていくと、
結局は新たな課題に向き合うことになります。
自分がどう生きるかを考えてみる
→「生きるとはどういうことか」を考える
 →「生き方を選ぶとはどういうことか」を考える
→「生き方を選べる人と選べない人がなぜ生まれるのか」という問い
もちろん枝葉はもっといろんな方向に、
いろんな形に広がっていきます。
社会に潜在する無数の問題を解決する最初の一端を、
つかむことで新たな春は始まります。
NS

春来たりなば

春来たりなば

こんにちは、バラックです。
某大入試問題投稿事件の騒がれ方が半端じゃなくてびっくりしますね。そしてこの騒動に対していろいろな有識者がまた声明を発する。そのことでさらに騒ぎが大きく。個人的には受験生が山形県出身というので注目しています。まさか山形、そしてひょっとするとうちの高校?と思ってワクワク(失礼)していたのですが、実際には別の高校でした。
今回の騒動に対しては、学生の逮捕は当然、逮捕は行き過ぎだけど何であんなバカなことを、という意見(そしてマスコミはどちらかというとこちら側の見解を多く報道しています)と、逮捕は行き過ぎだ、大学側が大人げない、マスコミが騒ぎすぎ、という騒動自体を大きくした大学や報道に異議を唱える側がざっと見た限りの対立軸としてあるようです。
私は起こるべくして起こった騒動だなと思います。以前動画を違法にアップロードしていた中学生が逮捕されました。著作権違法か何かでしたでしょうか。あの時も「まさか逮捕とは」という人と、「仕方がない」という人がいましたが、騒ぎ自体はあまり大きくならず社会的インパクトも小さかったようです。
携帯やネットという新しいメディアができること、そうしたメディアが様々な可能性や仕組みを作り出しているのに、それに対応する社会的な規制や合意が出来上がっていない、メディアが作り出した新たな現実の在り方に人々がまだ対応しきれていない、新メディア世代と旧メディア世代の差といった今まで表立ってはいなかった側面が、前回と今回の事件で明らかになりました。社会がどう判断を下していくのか、どう枠組みを作ってくのか、この騒動の行く末は今後のメディアとそれが生み出した新しい現実を方向づけていくきっかけになるのではないでしょうか。
とちょっと硬い感じになりましたが、私個人としては熊本の事件に大変胸を痛めています。そういえば自分も小さいころ変なおじさんに声をかけられたり追いかけられたりしたことがありました。「怖い世の中になった」のはいつの時代もそうですが、それでもこういう事件が起こるたびに不安は増してしまうものですね・・・
さてさて、何度も宣伝していますが、来週日曜は進学ナビです。
分野別に編入のスペシャルトークをするだけでなく合格者から直に体験談が聞ける貴重な機会です、ほんとに。
注目の合格者は、
埼玉・教養・現代社会、法政・人間環境、名古屋市立・現代社会、学習院女子・日本文化、筑波・社会、北大・文、阪大・人間科学、早稲田・社会科学など有名人気校もりだくさんです!すごい豪華ですね。
そしてポイントは阪大合格者が来てくれるというところです。なぜなら阪大合格者の方は大阪に移ってしまうので、他の合格者が来てくれる機会にも参加が難しいわけですね。なので、今回はレア中のレアと思ってちょっとでも迷っている人はぜひぜひ来てください。